単純なことほど難しい

永平寺11

今南直哉さんの『刺さる言葉: 「恐山あれこれ日記」抄 (筑摩選書)』という本を読んでいる。

これは南直哉さんのブログ「恐山あれこれ日記」をまとめた本で、ブログをまとめた本なんだからブログを読めばいいじゃんと思っていたフシがあり、なかなか手が出なかった本だったけれども、実物を手に取ったら、思わずレジに向かっていた(笑)

読み始めると、ページをめくる手が止まらなくなる。

とても面白い。

パソコンなどの電子機器の文字と紙に印刷された文字を比べると、断然紙に印刷された文字の方が、私には響いてくるものが多い。私がアナログな人間と言えばそれまでなのだけれども。

南直哉さんなど永平寺で修行された方が書かれている本を読んでいると、たまに私が尊敬している宮崎奕保禅師様のエピソードが出てくる。それを見つけると、私は何とも嬉しい気持ちになってしまったりする。

客観的に宮崎奕保禅師様が人々の眼にどう映っていたのかを垣間見ることが出来るので。

この本にも宮崎奕保禅師様のエピソードが載っていて、思わずラッキーという気持ちになってしまった。

禅師にまつわる思い出は数々ありますが、中でも一番のものは、私が修行僧一年目のときのことです。

当時禅師は「監院(かんにん)」といって、永平寺管理運営の最高責任者の地位にありました。当時から時の貫首を凌ぐほどのカリスマティックな指導者で、全山の尊敬を集めていたものです。ですが、その頃は必ずしも体調が万全ではなく、普段は実務を代行させ、必要に応じて永平寺にお戻りになるという状態でした。

したがって、監院老師がご帰山だ、ということになると大変でした。古参指導部から「本日監院老師がお帰りになる。明朝の坐禅には全員特に注意するように」と通達が出て、全山が一気に緊張したものです。

禅師はまさに坐禅一筋の修行をなさってきた方なので、すでに80歳半ばになろうとしていた当時も、一日も欠かすことなく、修行僧と坐禅をともになさっていたのです。

本当に私はラッキーだと思う。

宮崎奕保禅師様という偉大な方がいらっしゃったことを知ることが出来たということが。

これも初めて高野山に行った時に、金剛峯寺で受けたワークショップで真言宗のお坊さんたちが「高野山の修行は厳しいけれども、永平寺に比べれば」とおっしゃっていたことがきっかけだった。

そして永平寺という場所に興味を持ち、永平寺に関する書物を読んでいく中で、宮崎奕保禅師様という方の存在を知ることが出来た。

私には、とても手の届かない存在のお方で、私が宮崎奕保禅師様のように常に自己に厳しく、真っ直ぐに生きるというのは到底無理なことだとは思っているけれども、それでも、一ミリでも近づけるようになりたいと日々思って生活している。

丁寧に一日、一日を大切に生きていくしかないんだけれどもね。

それが、単純なことなんだけれども、本当に難しい。


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