六本木で諸行無常を感じた

ヤボ用で六本木でランチ。

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そこはかつて六本木OLをしていた時に、割と行っていたレストラン。

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当時はここでの食事は、雰囲気も良いし、従業員の人もテキパキしていてイイカンジだと思っていたし、何より食べ物が美味しいという記憶しかなかった。

今回も美味しいものが食べられるということで、期待して行ったのだけれども

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なんだか、昔ほど美味しいとも思わなくなっている自分が居た。

雰囲気もそれほど良いものに感じなかったし、従業員の人達も、なんだかなぁと言う感想しか持てなかったりした。

昔の思い出というものは美化してしまう傾向にあるのだろうと、なんとなく思ったのもあるし、今はこういうものを美味しいと思わなくなっている自分が居るんだろうと思ったりした。

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ランチの時に、昔の会社の人の現在と言うものを知る。

私がその会社で働いていた際に、私に対して執拗な嫌がらせをしていた女子達を溺愛していた役員が居た。なので、その女子達は何をしてもその役員に守られていた訳で、無断欠勤しようが、仕事をさぼっていようが、お咎めは無しだった。

周りの人々もその女子達の行動には気付いていた訳だけれども、●●さんのお気に入りだから、下手な事はできないと口々に言っていた。私もその女子達に気に入られるように、彼女達に媚びへつらうような態度を取れば、嫌がらせのようなものは無かったのかも知れない。けれども、それは自分自身を曲げてしまうような気がして、そういう態度は取れなかった。

しかし、その嫌がらせというのが余りにも酷かったので、代々木八幡の出世稲荷様にお伺いして、この状況を何とかして下さいとお願いしたら、不思議なことが起こったというのは、昔記事にもしたけれども(不思議な話)今日、その役員が出世競争に敗れて、会社を去っていたことを知る。

よく、スピリチュアルとかで「許すことが必要」なんて言われているけれども、私は、許す必要なんて無いと思っている。「許すことが必要」という状況は「許さなければならない必要」があるということで、ずっとその「許すことが必要」な相手を、自分の頭の中に抱えているような状況に陥っているということでもある。

その「許すことが必要」と言う状況以上に、今、生きている瞬間瞬間を大切にしていったら、そんな「許すことが必要」云々なんて言っている暇はないと思うし。私自身も、ここ最近、以前働いていた会社でそんなことがあったとはすっかり忘れていた(笑)そんなことよりも、いろいろなことが自分自身に起きていたんで。

自分自身で美化していた思い出や、苦しんでいた状況というものも、全て固定されているということではないということを、思い知った食事だった。

時が経てば、全ての物事は、変わって行く。

若いと思っていた肉体も、時間が経てば老いていくし、栄えていたものも、時と共に次第に滅びていく。栄えているからこそ、伊勢神宮の式年遷宮のように常若の思想で、繰り返し再生していかなければならないのだということも、改めて実感出来た。

六本木という欲望にまみれた街で、思わず諸行無常を感じてしまった出来事だった。

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