お守りのような本~『三峯、いのちの聖地』を読んだ

三峯神社44

三峯神社にお伺いしてからというもの、とても護られている感がする。

肩こりが治ったのは勿論のこと、仕事の上でも、なんとなく気になって行ったことが、その後の仕事を展開する上で、非常に大切だった、というようなことが幾度となく起こったりしている。そして、これが気のせいだとか、たまたま偶然だよと言うことが出来ない位の頻度だったりする。

そんな中、三峯神社のことを知りたくって『三峯、いのちの聖地 (MOKU選書)』と言う本を読んだ。

そしてこの本の中にも、三峯神社のご利益ならぬ御神徳が数多く書かれていたけれども、自分自身の身に起きたことに照らし合わせると、すんなりとうなずける訳でございまして。。。

パワースポット

三峯神社31

三峯山には、年間百万人もの参拝者が登ってこられますが、崇敬者や講の方々はもちろんのこと、ここ数年の傾向として若い方々が多く、特に女性が熱心です。なぜ若い女性がわざわざ標高1100メートルもの地にやって来られるのかというと、ここは最近流行りのパワースポットで、それも関東最大級ということでした。

ここで修行すれば透視能力を身につけることができるかどうかはともかくとして、三峯山が人間の心身に何かをもたらすのではないかと考える人は多いようで、医療・学術関係の方々もお参りに来られます。

あるNPO法人が30人を引き連れて、ストレスの実験をしたこともあります。血圧測定と唾液測定によってストレスの度合いを測っていくというものでしたが、西武秩父駅からバスで山に登り、境内に降りて深呼吸した時点でストレスの数値がグッと下がったという結果が出ました。

ちょっと読み進めるだけでも、三峯神社の御神徳、そして三峯山という土地が素晴らしい土地だということが分かる(そして実際お伺いしたことのある人には、共感できる部分が多いと思う)

ただ、著者である三峯神社の宮司様は、パワースポットという言葉はあまり好きではないと書かれていた。

三峯山はパワースポットとして注目を浴びるようになってきましたが、私の本音を申し上げると、じつはこのパワースポットという言葉はあまり好きではありません。信仰とは一時の流行に左右されるような、そんな軽いものではありません。しかし、現代のような信仰の不毛時代においては、信仰の世界に触れるきっかけになり得るならば、それはそれで尊い機縁だと思います。

パワースポットにあやかりたいと、ここにやって来られる方の願いは、「自分の幸せ」でしょう。縁結びを願うのも、気をいただいて癒されたいというのも、まずは自分のためです。これは本来の信仰の意味としては多少異なりますが、信仰の道の入口としてはそれほど問題ではありません。

パワースポットという言葉は私も使うのはためらってしまう部分も多いけれども、三峯神社をパワースポットと言わなければ、一体どこがパワースポットなんだと思って、私も三峯神社のことを書いた記事ではパワースポットと言う言葉を使った。

私が書いた記事などは微力かも知れないけれども、この記事を目にした人が、三峯神社に興味を持って、実際お伺いして、御神徳を仰ぐことが出来ればと思った部分も大きい。

ただ、万人に合うところなのか?と言われると、ちょっと悩むところもあったりする。ご利益御神徳だけ欲しがるクレクレさんは無理かなぁ、、、と。

数限りないご霊験ばなし

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私が体験したことも、一つのご霊験だと断言できる。

三峯神社にお伺いする3週間位前から、何故か肩の痛みがひどく、睡眠中に寝返りを打った際に痛みで目覚めてしまったり、ペットボトルのお茶を飲むために首をちょっと後ろに傾けただけでも、激痛が走る程だった。

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こんな痛みは今まで経験したことが無かったので、ダンベル体操をしたり、ヨガをやったり、シップを貼ったり、マッサージをしたりして、様々な治療を試みたけれども、一向に良くなる気配がなく、これは肉体的なものだけではないと薄々感じていた。そして、三峯神社を始め、秩父三社めぐりのバスツアーに呼ばれるように参加したら、バスツアーに参加した夜にはもう肩の痛みなんて無くなっていた。

なのでこの本の中に描かれていたご霊験話を読んでも、そういったことはあり得ると思わざるを得なかったりする。

ある日、「うちの娘の様子がおかしいので、憑きものを祓ってもらいたい」という電話がありました。

ひとまず御眷属のお札をお送りしたところ、その娘さんが、お札を収めた神棚のある部屋に決して近づかないというのです。これは本当にきつね憑きだということになり、三峯神社にお連れいただいて、お祓いをすることになりました。

ちょうどその頃は春山の時期で、境内には多くの人々で賑わい、休憩所には御祈祷を待つ人々が大勢おられました。

ご両親が引きずるようにして娘さんを連れてこられましたが、何やらわめいて大暴れしています。周囲の人々は驚いていましたが、その様子を見て口々に、「私たちの祈願は後でいいから先にあの人を」とおっしゃり、娘さんのためだけの御祈祷を始めました。

最初は暴れて、職員が押さえていましたが、徐々に落ちつき、血の気のなかった娘さんの顔が赤みを帯びてきました。ご祈祷を終え、拝殿を出る頃には普通のかわいらしい娘さんに戻り、「ありがとうございました」と言って、深々と頭を下げていきました。

驚いたのは周りの方々です。「やっぱり三峯のご利益だ。だからみんな登ってくるんだ」とおっしゃっていました。

これは御眷属のご霊験です。

信じるか信じないかは、あなた次第、ということなんでしょうが、私は信じます。

まとめ

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この本にはその他にも、三峯神社のお祭りや、御神水のお話、お犬様のことなど詳しく書かれていて、読んでいると、再び三峯神社にお伺いしたい気持ちが高まる本でした。

三峯神社はどことなく、伊勢神宮にも通じるものがあるよな、と感じていたけれども、神道に関しての記述もあって、自分の中でとても腑に落ちるものがあったのでした。

朝、起きて、顔を洗い、神棚やお札の前で、真心の祈りを捧げ、一日をスタートしていただきたいものです。そして、大きな喜び事があった時、神様に自分の気持ちを聞いてほしい時、または悲しみや苦しみに出会った、その折々に、神社にお参りして、生きる力を授かり、心を静めて帰られる。暮らしの中に信仰を取り入れた生き方をするということは、私たちの祖先が今日まで伝えてきた尊い生活のあり方だと思います。

平安時代の歌人・西行法師が63歳の折、高野山からお伊勢参りを行い、伊勢神宮の遥拝所に至って、はるかに皇大神宮を拝し、

なにごとのおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる

と歌い上げました。宗旨や宗派を超えて西行法師が直観したもの、それは神々しい神宮の佇まいであり、そこに凝縮された神々と人間の尊い絆の祈りではなかったかと思われます。

「神は垂るるに、祈りをもって初めとなす」といわれております。一度ならず、二度三度、度重なる祈りのまことが初めて神に通じることから、古くから百度参り千度参りが続けられてきたのです。どうぞ、そのような気持ちで日々をお過ごしいただき、年に一度といわず、何度でも、この三峯の地に訪れていただき、尊い絆の祈りとともに神様の霊気に触れていただきたいものです。

神明というもの。

それが現代を生きている私達に、一番必要とされているものなんではないかと、この本を読んで改めて思った次第です。

三峯山にお伺いしたくなった時に、ページをめくるだけで心が落ち着くような、私にとってはお守りの様な本です。

三峯、いのちの聖地 (MOKU選書)
中山 高嶺
MOKU出版
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