新しい自分になるヒントがいっぱい~『新・ボディワークのすすめ』を読んだ

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photo credit: asokachakra2 via photopin (license)

3週間程、異常なまでの肩こりが続いていたのが、秩父三社めぐりをしてすっかり治ったという不思議なことがあった。その肩こりが酷い時に、読んでみようと思った本を今更読む(笑)いや、ホント肩こりが酷いと本を読むという心境にもなれなかった訳でして。。。

それは『新・ボディワークのすすめ―からだの叡知が語る私・いのち・未来』という本で、肩こりに効く体操でも載っているのかと思いきや、これが、実に奥が深い本でありました。

著者は南山大学人文学部心理人間学科教授のグラバア俊子さんという方。大学教授の方が書かれた本ということで、実はそんなに期待していなかったけれども、下手なスピ本読むならこの本を読んで欲しいと思ったくらい、共感できる部分が多かった。

はじめに

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この本の初めの方にはこんな風に書かれている。

1、何かを行う(経験)

2、そこでどのようなことが起こっていたかを見て、大切と思われるデータを取り出す(指摘)

3、それがどうして起こったか、原因・仕組み・影響関係などを考察する(分析)

4、その分析にもとづいて、次の言動の具体的な目安をたてる(仮説化)

1´、自分で作り上げた仮説を状況を捉えて実践してみる

2´、3´、4´、実践したことについて指摘・分析・仮説化を繰り返していき、自分の仮説の足りないところを補ったり修正したりして、よりよい仮説を作り上げていく。

このような過程を意識的に繰り返し経験することにより、どんな場面においても自然にこの学習過程が踏めるように訓練するのです。それは様々な出会いや状況の中で自分にとって何が重要な課題かを見出し、解決する能力を身に着けることでもあります。以上のような学習過程が身に着けば、学び方を学んだことになるでしょう。

そしてさらに言うならば、こう考える根底には個人の能力への信頼があるのです。結局は自分のことを一番よく知っているのは本人であり、他人の援助が必要だとしても、解決への道を選び実行するのは本人の力だと考えるのです。誰もがこの人間として成熟していく力を内にもっているのです。

これは逆から眺めれば、人間として成熟していくことに関しては誰も代わってあげるわけにはいかない、自分でするしかないんだという当たり前ではありますが基本的なことを、学ぼうとする者につきつけているとも言えましょう。

最近では分からないことがあった時にインターネットで検索して、そこに書かれているを読むことで、答えを得ているような気分になってしまうことも多い。インターネットも魑魅魍魎の溢れる世界なので、そこにあるものを全て鵜呑みにしてはいけないのだと思うし、結局は自分が体験したことでなければ、自分の身にならないということを改めて悟った訳でして。

私たちのからだの現状

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そして短大でのボディワークの授業で得られたデータを元に、どのように私たちがからだと付き合っているか、そしてその結果としてどのようなことが起こっているのか、ということが書かれていた。

物を知ろうとするとき、知的にアプローチする、物の名前が分かればそれ以上知ろうとしない、様々な感覚を積極的に用いようとしない、といった傾向がみられます。

印象深いのは、多くの学生が、まず自分の感覚、感情を信じてよいのかという疑問、またはとまどいをもっていることです。「自分の感じるままに動いたり、気持ちに素直に従ったらどんな結果になるかわかったものではない」という不安と恐れを表明します。

このような気持ちがあるために、「こういう時にはこのように感じなくてはいけない」、または「このように感じてはいけない」、「自分がこのように感じるはずがない」といった自己検閲によって、自己の内的経験のある部分を切り捨ててしまうのです。ここに見られる不信頼は、経験からというより、むしろ感覚体験や感情表出の経験不足から生じているように思われます。

感覚への無関心は結果として、内的経験に信頼する体験を乏しくしてしまいます。「経験に心が開かれているということができなければ、瞬間に生きることも、自分という有機体を信頼することもできない。経験を受け入れるかわりに自分の経験を批判し、誤ったデータをとり入れてしまう。本当に三つのことができるようになれば素晴らしいが難しいことだと思う」。そして、この一人の学生の感想が私たちのおかれている現状だと思います。

筆者が重要と考えるのは、それに加えて、自己理解の基盤となる次の二点に関する洞察が得られるであろうということです。

一、私は他者と同じ人間でありながら、同時に全く独自でユニークな存在である。

二、私が過去の体験を通して形造られてきたのなら、今までのあり方に縛られる必要はなく、自分の選択により新しい体験を積み重ねることによって、自分にとってよりよい在り方を形造っていく可能性がある。

このことを一人の学生は次のように簡潔に表現しています。

「私は自分のからだに限りない興味と可能性を覚えた。人間一人ひとりに違った顔があり表情があるように、一人ひとり違ったからだがあり表情があるのは、本当にすばらしいことであると思う。

その独自のからだは誕生した瞬間から今この時まで、自分で培ってきたもので、自分で創造した作品である。私の手の感触も、味覚の特徴も、足の運び方も私そのものなのだ。そのことに自信をもつと同時に、信頼して新たな自分を創造し続けなければならないと思う」

これらを読んでいて、私はボディワークの本を読んでいるはずなのに、(悪い意味ではなく)何故かスピリチュアルな本を読んでいる感覚を覚えた。これらの引用だけでは分かりにくいかとは思うけれども、スピリチュアルな本では表面上でしか描かれていなかった「自分を愛する」とか、「自分自身を信頼する」ということというのは、こういうことなのかと、きちんと理解している自分が居た。

そしていくら「私は自分が大好きです」「私は素晴らしい」なんてアファメーションしても、無理だということも理解出来たりして。。。

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ロルフィングを通して

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そして著者がロルフィングを受けた経験を日記形式で書かれていた章でも、新しい自分になるためのヒントが沢山書かれていた。

「ふくらはぎと脛は、からだの中において心理的にはある特定のゴールに到達するための方法や道具を象徴している。普通、方法や手段といったものに疑問をもっていたら、ふくらはぎや脛が痛む。

もしゴールの方に疑問があれば、足のほうが痛むのだ。面白いだろう。しかし君の場合足は痛まなかった。思うに君は自分がどこへ行きたいかに関しては非常にはっきりしている。しかし、どうやってどこへ行きつけるかに関しては、あまり確信がないのだと思う」。

全くその通りだと答えると、「ごらん、君のからだは君が何を考えているのか、語ってくれるんだよ。私はロルフィングを、人々が無意識の中にしがみついている古いパターンから抜け出すための心理的な道具として、用いているんだよ」。

さらにもう一つのこととして、私の右側に、緊張して固定化している部分がよりあるとのこと。そしてそれは、受け入れることは良くできるが、そこから行動を起こすことが弱いという傾向をあらわしているそうだ。「何かアイデアを得たら、それをやること。座り込んで10年間も考えていないこと」と言われてしまった。

自分が受け身的でエネルギーがあまりないと報告した。そう話している声自体も何か力がなかった。

マークは「受け身的(passive)と受容的(receptive)ということには違いがあるんだが」と言う。私はとても受け身的な感じがするがそれは今までと違った在り方、例えばあまり頑固にならないようにといったことを試みているからかもしれない、と答える。マークは「この二つの言葉の違いをはっきりつかむことは重要だよ」と続ける。

「受け身的というのは、あなたにいろいろなことがなされるのを容認するということだ。受容的というのは、わかち合いのプロセスを招くということだよ。わかち合うが、他には振り回されないということは大切だよ。そうしないと君の力はなくなってしまう。自分の力は保持しなくてはならない。

もし力を他に与えてしまったらあなたは道具になってしまう。力がなくなってしまうといっても、誰も君の力を取ることは出来ないんだよ。君が他に与えるということでしかないんだ。特にある人とのかかわりを成長させようと思ったら、自分自身の力を保持することは非常に重要だ。相手に力を与えてしまうとその関係はダメになってしまう」。

私の場合は、力を与えてしまうというより、かえって他の人の足を引っぱってしまうことがあるように思う、と言うと「私が言っている力とは、何かをする能力ということではないよ。自分の中に自分の中心が座っているという内的な感覚のことだよ。君がその部分を人にあけわたしたら、君はその人の周りをぐるぐる回る人工衛星のような存在になってしまうよ」

「第三の眼(額)というのは、完全に客観的である。心や感情のおしゃべりには全然関心を払わず、剣で切るように、あなたが関わる必要のあるものの核心へと切り込む。仏陀は、キリスト、ヒンズー、イスラムとは違う。

仏陀の核心は知性に根ざしており、観察の明晰さである。ヒンズーは経験に根ざしており、経験における絶えざる修養が問題になる。キリストは開かれた心、無条件の愛に根ざしている。無条件の愛とは、多くの人が考えているものとは全然ちがう。

それは、それが何であろうと、外から入ってくるものをそのまま、比較や判断、知的理解といったもの抜きに、ありのまま受け入れるということだ。なにもそれを好きになる必要はない。その人や事柄を気づかうが、なんの執着ももたず、影響もされないという在り方である。

ロルフィングはヒンズー教の中心(丹田)、キリスト教の中心(胸)、そして仏教の中心(額)に働きかけているわけだ。どんな小さな動きでもその一つひとつに独創性、そして覚醒へのひらめきがある。

しかし、それは往々にしてある種のドグマにもち去られてしまう。あなたは自分のひらめきよりも、誰か他の人が言ったことの方を信ずるわけだ。そして、その人に自分の力を譲りわたしてしまう。全くバカげたことだと思わないかい。

私がロルフィングをする意図と焦点は、三つの中心すべてに働きかけ、バランスをとり、位置を正して統合し、それにより頭頂に位置する第四の個人を超越する中心にも働きかけるということなんだよ。われわれは、心と精神と魂を備えたものだからね」

まとめ

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この本はこの他にも、実習ということで呼吸の方法や五感を感じる方法などが書かれていて、とてもじゃないけれども、全てをまとめることは出来ないので、ご興味がある方は本をお読み下さい。

ロルフィングに関して良い事が書かれていたので、ちょっと興味が湧いたけれども

もちろん関心があればロルフィングあるいはシン・インテグレーションを受けることも、このことを実感する良いチャンスとなると思います。

しかし、立ち方、足の運びなど、まさに自分の姿勢に注意を払うことは誰にでも始められることです。また、生活の中でどのような靴を選ぶか、といった単純なことが、自己概念の転換にとって一番の要因になるというケースもあり得るということなのです。

こういった記述がさりげなく書かれているところにも、この本に好感が持てたのでした。

自分のからだから発せられる言葉を聴くことで、新しい自分になるヒントが隠されていることを知り、そして、それは自分自身でやらなくちゃならないから、それは大変なことなのかもしれないけれども、結局は自分が行動を起こさなくては、ずっと今のままなんだと、改めて認識させられた本でした。

新・ボディワークのすすめ―からだの叡知が語る私・いのち・未来
グラバア 俊子
創元社
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