鶴岡八幡宮へ行ってきた【その2】

鶴岡八幡宮から今宮へ向かう。

今宮(新宮)はいったん境内を出て、御谷休憩所を横目に歩き、参拝者駐車場からちょっと奥まったところにあった。

最初ご参拝のしおりを見ただけでは場所が分からなかったけれども、スマホで自分の居る位置を確認しながら辿りつけた。スマホってホント便利だわーと思いつつ(笑)

鶴岡八幡宮 今宮(新宮)

鶴岡八幡宮24

鶴岡八幡宮には溢れんばかりの人が居たけれども、こちらには、誰も居なかった。

鶴岡八幡宮25

鶴岡八幡宮後方の東谷の今宮は、1221年(承久3年)に起きた承久の乱で隠岐に流された後鳥羽院の怨霊を鎮めるため、1247年(宝治元年)に創建された。

「今宮」という名称には、新しい宮という意味があることから「新宮」とも書かれる。

祭神は、後鳥羽、土御門、順徳の三天皇。

承久の乱では、三上皇が配流となった。後鳥羽上皇は流された隠岐で亡くなり、順徳上皇は流された佐渡で断食をし頭に焼石を乗せて亡くなったといわれている。

今宮には、当初、後鳥羽、順徳と順徳の護持僧長賢が祀られていたという。

土御門上皇は、承久の乱には反対していたことから処罰を受けることはなかったが、自ら申し出て土佐に流され、のちに阿波に流され亡くなった。明治に入ってから合祀されている。

伝説によると、1239年(延応元年)、鎌倉の街の方々で喧嘩や争いごとが起き、特に5月25日には大騒動が起きた。

承久の乱で敗れ、隠岐に流されていた後鳥羽院が、この日に亡くなっていることから、院の恨みが原因だろうということで、神社を建て霊を祀ったといわれている。

今宮の後ろには、六本杉と呼ばれた大木があり、一つの根から六本に分かれていた。

その六本杉には天狗が住み着いていたという言い伝えがある。

~鎌倉手帳 より引用

ということで、参拝する人を選ぶ神社だと思う。

鶴岡八幡宮27

けれどもお参りさせていただいても、嫌なエネルギーというものは全く感じなかった。むしろ参拝されることを喜んでいらっしゃるような感じがした。

人を恨むことよりも、そのエネルギーを自分を昇華させる為に使え、とおっしゃられているような気がして。。。

私自身に重ね合わせても、自分の中のデスノートに名前をしたためている奴は大勢居た。そしてふとした瞬間に、あいつのせいでこうなった、あいつがこうしたから、こんな嫌な気分にさせられた、等々恨みつらみのような闇の部分が襲ってくることがあって、狂わんばかりの気持ちになったことも多かった。

けれども、何故かこちらに参拝してからは、そういうの、どうでも良くなってきた。

恨みつらみというものに自分の大切なエネルギーを注ぐということは、その恨みつらみを活性化させて、結局は相手にエネルギーを与え続けているようなものだと気付かされたという部分が大きい。

そして、「傷つけられる自分」という選択をさせられているだけで、その「傷つけられている自分」という選択をしないということが、つまり自分を尊重するということなのではないかと。

鶴岡八幡宮26

自分が生きている間に使えるエネルギーの量は限られているから、どうでもいい無駄な事に使うなんて馬鹿げている。

本当に大切なこと。

それは自分で自分自身を殺さないことだと。

物理的にも勿論だし、精神的にも自分が駄目なやつなんて思いこまされているのだったら、それこそ精神的な自殺のようなものだと。

そんな、メッセージをいただいた。

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