春日若宮おん祭について

日本橋にある奈良まほろば館で行われた『大和路の師走を彩る「おん祭」 -御旅所祭を中心に-』と言う講演に行ってきました。春日大社の祭儀部長の方による講演ということで、神社の方のお話を聞く機会というのはあまりないので、とても勉強になりました。

今回講義して頂いた春日大社の祭儀部長の方は、奈良ホテルの近くに鎮座する瑜伽神社(ゆうがじんじゃ)がご実家で、そちらの神社の宮司も兼任されていらっしゃるとのことでした。ちなみにこの「瑜伽」とは仏教用語で、中世呼吸と精神の合一をはかる「ヨガ」の語源となっており、また万葉集にも平城遷都で奈良に来た人々が、当時の瑜伽神社周辺の雰囲気が飛鳥に似ていた事から、この辺りを「平城(なら)の飛鳥」と呼んでいたと載っているとの事です。

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春日若宮おん祭と言うのはどういうお祭りかというと

春日大社の摂社である若宮の御祭神は、大宮(本社)の第三殿天児屋根命と第四殿比売神の御子神であり、その御名を天押雲根命と申し上げます。平安時代の中頃、長保五年(1003年)旧暦三月三日、第四殿に神秘な御姿で御出現になり、当初は母神の御殿内に、その後は暫らく第二殿と第三殿の間の獅子の間に祀られ、水徳の神と仰がれていました。
長承年間には長年にわたる大雨洪水により飢饉が相次ぎ、天下に疫病が蔓延したので、時の関白藤原忠通公が万民救済の為若宮の御霊威にすがり、保延元年(1135年)旧暦二月二十七日、現在地に大宮(本社)と同じ規模の壮麗な神殿を造営しました。若宮の御神助を願い、翌年(1136年)旧暦九月十七日、春日野に御神霊をお迎えして丁重なる祭礼を奉仕したのが、おん祭の始まりです。
御霊験はあらたかで長雨洪水も治まり晴天の続いたので、以後五穀豊穣、万民安楽を祈り大和一国を挙げて盛大に執り行われ、八百七十有余年にわたり途切れることなく、今日に至ります。

~春日若宮おん祭のHPより

という、日本最古の文化芸能の祭典であり、国指定重要無形民俗文化財でもあるお祭りです。
今年で第878回となり、毎年12月15日から12月18日にわたって斎行され、12月17日がお祭りの中心となっていますが、お祭りの行事そのものはその年の7月より始まっています。

  • 7月1日 流鏑馬定(やぶさめさだめ)
  • 10月1日 縄棟祭(なわむねさい)
  • 12月初め 馬長児僧位僧官授与式(ばちょうのちごのおくらいうけ)、装束賜りと精進入り(しょうぞくたばりとしょうじんいり)

そして、12月15日~18日までにわたってお祭りが斎行されます。

何故7月、10月と12月15日~18日は日にちが決まっているのに、馬長児僧位僧官授与式は12月初めとなっているか?と言うと、稚児さんと言って地元の小学生が奉仕しており、行事の為に学校を幾度とお休みさせるのはイケナイという事で、12月1日前後の土曜日となったそうです。ちなみにこの馬長児僧位僧官授与式と言うのは、興福寺のお坊さんが稚児さんに位を授ける儀式とのこと。何故興福寺が関わってくるかと言えば、元々若宮おん祭というのは興福寺主宰のお祭りだったとの事です。

そしてメインの12月17日のお祭りですが、 まず午前0時より遷幸の儀(せんこうのぎ)が執り行われます。

若宮神を本殿よりお旅所の行宮(あんぐう)へと深夜お遷しする行事であり、古来より神秘とされている。現在も参道は皆灯火を滅して謹慎し、参列する者も写真はもちろん、懐中電灯を点すことすら許されない

という事で、若宮様がお通りになる前に松明で大地を焼いて清め、香を焚いて大地を清めた後、御神体を持った神主を榊を持った神主が囲んで移動されるという事で、暗闇の中で行われる為、まるで森が動くかのように見えるらしいです。

そして上記での説明にもあるように、参道の明かりも消し、自動販売機や防火灯も全部消して行事は執り行われます。写真撮影禁止と言うけれど、たまに隠れて撮影している人もいるとの事で、そういう人は神様のバチがあたるかどうかは分かりませんが、何かしらあるんでしょうね、と。私も、何かあるかと思います、ハイ。

その後若宮様に朝の御饌(と言っても午前1時とかそんな時間)をお供えし、巫女さんが神楽を奉納するという事です。

ちなみに春日大社では巫女さんの事を御巫(みかんこ)と古い言葉で言うそうです。(春日大社のHPを確認したら、春日の杜で学ぶ/御巫(みかんこ)[巫女]修行コース なんていうものがありました)

その後神職の方々は軽く仮眠などをされて、朝9時からその日一日フルで行事に携わるとのことで、とても盛大なお祭りです。

また、午後1時頃に執り行われる松の下式(まつのしたしき)。こちらの神事で、誰もが知っている「埒があく」という言葉の語源があるとの事。この埒というのは漢字の「口」の中に「米」という形を木の枝でかたどったようなもので、その中央に和紙が結ばれているもので、この神事で埒をあけるという行為から来ています。

「金春の埒(ちち)あけ」と言われるもので柴の垣に結びつけた白紙を金春太夫がお旅所前で解いてから祭場へ入るというもので「埒があく」という言葉もこれからおこったと伝えられている。

~春日若宮おん祭のHPより

その他にもちょっとした豆知識を聞きました。例えば

  • 春日大社の神事は芝の上で行われるので、晴れの舞台の事を芝居という話
  • 昔は絹を使用していたが現在では紙を使用しているものもある。紙は何度もすくので清浄のしるし
  • 宮司はその神社の社長さんのようなもの(伊勢神宮だけは例外。大宮司がいらっしゃる)副社長は権宮司、そして禰宜、権禰宜と続いていく
  • 稚児流鏑馬はご奉仕する小学生がずっと前から練習する。馬が止まっている状態でも乗馬しながら矢を放つのは想像以上に難しい
  • 日使(ひのつかい)は関西の財界の代表者がやる事が多い 等々

そして17日の午後3時30分から午後10時30分頃まで奉納という事で、

  • 神楽(かぐら)
  • 東遊(あずまあそび)→春日大社では稚児が行っている
  • 田楽(でんがく)
  • 細男(せいのお)→白装束で覆面をしたうえで笛を吹く、良く分からない舞とも言われているらしい
  • 神楽式(かぐらしき)
  • 舞楽(その1)
  • 舞楽(その2)

とずーっと続くと知ってびっくりしてしまいました。中でも舞楽については知らない事が多かったので為になりました。例えば

  • 左舞はインド、中国方面から来たもので、装束も赤系統
  • 右舞は朝鮮地方や渤海国方面から来たもので、装束も緑系統

そして舞楽のそれぞれに舞について説明頂いたのですが、特に興味深かったのが納曽利(なそり)と落蹲(らくそん)について。これは同じものだけれど、一人で舞うのが納曽利、二人で舞うのが落蹲との事だったので、あれ?伊勢神宮の式年遷宮のお神楽で見た納曽利は二人で舞っていたけれど?と頭の中が疑問だらけに。。。けれどもこれは春日大社特有のもので、枕草子に「落蹲は二人して膝踏みて舞ひたる」とあるように、春日大社では南都楽所の右方舞である大神流独特のもので、春日大社以外は逆との事でした。

これは伊勢神宮での納曽利です。

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最後に講師の方の雅楽の楽器「龍笛(りゅうてき)」の実演で講演終了となった訳ですが、1時間ちょっとの時間だったけれど、勉強になりました。世の中まだまだ知らない事だらけだなぁーと改めて認識できるいい機会でした。

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