息苦しくなったら、とりあえず旅に出よう

ナチュラルローソンにふと立ち寄ると、昔沖縄に行った際に購入した「天使のはね」というお菓子が売っていた。

沖縄じゃなくても東京で、しかもナチュラルローソンで購入出来る時代になったのねん、などと思いつつ、思わず購入。

天使のはね

そろそろ遠出をしたいなぁ、と思っていた際に沖縄のお菓子を購入したということは、沖縄に行けということなのかなぁ、ナンテ思っちゃったりして。

旅は重要。

日常を生きているだけでは、息詰まってしまうことも多い。

そんな日常からの脱出ということで、旅に出ることは絶対に必要。

私は神社仏閣に行くのが好きなので、ほとんどの旅は神社仏閣にお伺いすることがメインだったりする。

神社仏閣にお伺いするということは、神様や仏様のおかげをいただきたいという想いもあるのだけれども、その土地土地に祀られている神様や仏様の神々しさをこの目に焼き付けたいという想いの方が大きい。

観光って言葉を考えれば、文字通り「光」を「見る」ことだから、非日常である「光」を見る事で、日常の生活にも影響することは想像に難くない。

だから、私は、旅が大好きだ。

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今、『神道祭祀―神をまつることの意味』という本を読んでいる。

そこにはケとハレについて書かれていた。

ケとハレ

お祭の日はハレ(晴)の日である。だからこの日に着る着物を晴着といい、その姿を晴姿という。それに対して、日々の生活はケ(褻)という。

われわれはとかく、日常性の中に埋没してしまいそうになるが、一年に一度は、日常性から脱却して生命力の活性化をはかることが必要である。神職の奉仕する祭典に参列するのも、また若者が御輿や山車をかついだり曳いたりして、原始の興奮を体験するのも、まさに非日常的な世界に参入するほかならない。

「俗」から「聖」に入る事である。ケ(褻)からハレ(晴)への質的転換である。それによって人びとは自己の神聖をとり戻し、社会生活の意義を確かめるのである。自己の神聖をとり戻すとは、俗にいう、「お蔭をいただく」とか「ご利益を蒙る」ということにほかならない。

神威を畏み、神の恵みを仰いで神々の加護によって生きることの喜びをかみしめ、明日の生産生活に希望と力を得る源泉とするのである。そこには祭祀の特質があるといえる。

神道祭祀―神をまつることの意味より引用

生命の活性化のために、神社仏閣にお伺いするということは、とても必要。

近くの神社仏閣のお祭に行くのももちろん良いけれども、日常から離れて、旅に出ることで、何かが見つかることも多い。

ちょっと息詰まって苦しいと思っている人が居たら、気になる遠くの神社仏閣にお伺いすることで、何かのヒントが見つかるかもしれません。

かつての私がそうであったように(笑)

神道祭祀―神をまつることの意味
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