神聖さについて考えさせられる

201507月夜見宮

内宮前から再び外宮方面へ移動。

月夜見宮に行ってみる。

伊勢市駅から歩くこと5分程度でたどり着ける。

201507月夜見宮2

実はバスツアーで外宮に移動した際に、月夜見宮で降ろされたのだけれども、バスツアーの人々が溢れかえっているところでお参りしたくなかったので、月夜見宮の参拝は自由時間にしようと思っていた。

201507月夜見宮3

当然、誰も居ない。

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月夜見宮で、こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りした。

そして、右手にある高河原神社にもお参りさせていただく。

201507月夜見宮7

201507月夜見宮8

ここまでは、良い気分だった。

ただ、ちょっと?と言うことがあったので、とても残念な気分になった。

やっぱり伊勢神宮関連だよね、という思いが、ちょっと頭をよぎった。

伊勢神宮関連のお社で奉職している人からは、伊勢神宮に奉職しているというプライドからか?良い印象を受けることは、あまり、多くない。

逆に言えば、良い人に当たった時の喜びはひとしおなのだけれども(爆)

ぶっちゃけて言えば、参拝客を見下しているような、そんな印象を受けることもある。

なんとなーく、寂しい気分になりつつ、外宮に移動して、先ほどお伺いした際には行けなかった、私のとても好きな場所に行く(ここは秘密)

すると、声がする。

お前は、人を肩書や外見で判断し過ぎる傾向がある、と言われた。

どんなに立派な肩書や、立派な衣装を身に付けていても、所詮、たかが人間のやっていることだ。そして、彼らは自分の神聖さや聖人ぶりを自慢し続けているだけだ。

神職だからと言って、聖人だと思っているのか?と。

彼らは参拝客のことなどは気にも留めていない。

人が幸せになろうが、不幸せになろうが、そんなことはどうでも良いと考えている、のだと。

普通のサラリーマンと同じだ。

ただ、金の為に働いているだけの輩の態度に、一喜一憂することは無い、と。

気を見ろ。

身にまとっている衣服や、肩書などは、全く当てにならないのだから。

そんなメッセージをいただいた。

まぁ、中二病の独り言だと思って頂ければ(笑)

外宮を後にしようとすると、観光で来ていた老夫婦の会話が聞こえてきた。

「なんだか高野山の方が凄かったよね」、と。

確かに、今は高野山の方がパワーがあるのかも知れないね、なーんて思いながら、外宮を後にした。

再び内宮方面に移動して、気分転換にご飯を食べることにした。

豚捨さんにお邪魔する。

201507月夜見宮11

牛丼なんか頼んじゃったりして(笑)

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それにしても、やっぱりおかげ横丁も人がまばらだった。

201507月夜見宮13

201507月夜見宮14

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