高野山 善女龍王社

こぶとりじいさん、という昔話がある。

善いおじいさんが鬼たちの前で踊ると、鬼たちは喜んで、おじいさんのこぶを取り去ってくれた。

その話を聞いた、欲深いおじいさんが、善いおじいさんの真似をして、鬼たちの前で踊ると、鬼たちは怒り狂い、欲深いおじいさんにこぶをつけた、というお話。

この話から思い浮かぶのは、鬼たちの前での振る舞いで、与えられるものが全く違ってくる、ということ。

そして、パワースポットという場所に行ったからと言って、全ての人々に恩恵が与えられないのは、その土地に祀られている神さまや仏様に対しての振る舞いに問題があるのではないか、ということ。

欲深い人がご利益目当てでその土地に赴くと、その土地の神さまや仏様の怒りを買い「こぶ」という名のよろしくないものを頂戴することもあるわけでして。。。

そんなことを、ふと思ったりした。

善女龍王社

20150504善女竜王様2

こちらにお伺いすると、何故かカップル遭遇率が高い(笑)お参りしようとした時にも、前方にカップルが居たので、お参りのタイミングを間違えたか、と思ったけれども、カップルはお参りもせずに、じろじろお社を見ただけで、すぐに消えた。

GWの喧噪の中、たった一人でお参りできる格好となった。

そして、持参したろうそくとお線香を手向けて、お参りさせていただく。2年ぶりにお伺いした形になった訳だけれども、お待ちいただいていたような気がした。そしてろうそくとお線香を手向けたら、とても喜ばれた。

20150504善女竜王様3

20150504善女竜王様4

こちらにお祀りされている善女龍王さまというのは、高野山を語る上では、とっても重要な神様なのですよ。

善女龍王(ぜんにょりゅうおう)

かつて国家の基盤が農業にかかっていた頃、五穀豊穣(ごこくほうじょう)は人々の切実な願いであり、雨を降らせる力を持つ龍王に祈る事はしばしばあったようです。
善女龍王像(ぜんにょりゅうおうぞう)善女龍王もそのような龍王のうちの一尊ですが、善女龍王について説く儀軌(ぎき)はあり ません。それなのになぜ有名なのかといいますと、弘法大師空海の神泉苑の伝説による、と思われます。
天長元年(八二四)、干ばつが続いたため朝廷は雨乞いの修法を執り行う事にしました。まず奈良の山階寺(興福寺)の守敏(しゅびん)僧都に祈雨を命じ、一週間修法を行ったのですが、都に少し降っただけで国中を潤すことはかないませんでした。
そこで弘法大師が召され、宮中の神泉苑(京都・二条城の南方に現存します)にて「請雨経法」を修したのですが、一週間経っても雨は一滴も降りません。不思議に思い大師が調べたところ、前々から大師の名声をねたんでいた守敏が呪力をもって全ての龍神を水瓶に閉じこめてしまっています。しかし唯一善女龍王のみが守敏の手から逃れているのが見えましたので、この善女龍王を北インドの無熱池(むねっち)という池から呼び寄せ、三日間にわたり国中に大雨を降らせる事に成功しました。

この時現れた善女龍王の姿は、「高野大師行状図画」では大蛇の頭の上に乗る小さな金色の蛇として描かれますが、雲に乗って冠を戴き、中国の衣服をまとう男性の姿で描かれる国宝・善女龍王像が有名で、本像は多くの写本が遺っています。よく見ると衣の裾から尾が出ており、「龍」であることをうかがわせます。平安時代末期に活躍した絵仏師定智(じょうち)の筆と判明する貴重な作品です。
かつて高野山で祈雨の法を行う時には金堂に善女龍王の軸を掛けて祈願し、もし効験がない時には一山の僧が大瀧(現在の高野町大滝地区)に行って修法を行った、と「紀伊続風土記」に記載があります。

このように善女龍王は弘法大師あるいは高野山と深い関わりを持つ尊です。高野山の伽藍にある蓮池の中央の小島には善女龍王を祀る社(やしろ)があります。

~高野山霊宝館 HPより引用

20150504善女竜王様5

こちらが、パワースポットだなんて、ちゃちなことは言わない。

けれども、必ず守ってくださる。

善女龍王様のお姿が視られる人に対しては。

善女龍王様

そのお姿を視られるかどうかは、こぶとりじいさんではないけれども、ご利益目当てのクレクレさんには、たぶん、視えない。

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