『夢の導き』を読んだけど、、、

高野山から戻ってきて早3週間。

すっかり俗っぽい生活に戻るかと思いきや
まず第一に肉が全くダメになった。。。

高野山に行く前からも、自主的に魚・肉・卵は避けていたのだけれど
(伊勢での滞在は別として)
会社でもらったゴージャスな中華弁当を食べたら
翌日疲れまくって仕方が無かった。

お肉やお魚を食べないと、こんなに疲れ具合が違うのだと
自身の身体で身をもって体験させられた。
こんな事があったので、お肉類・魚介類はほぼ食さず。

もともと、ある方から
「あなたはお肉・お魚は食べちゃだめ。影響を受けやすい」
と言われていたけれど、まっさかーと思い食べまくっていた。

けれども高野山に行ったのをきっかけに
お肉やお魚を食さずに居たら、仕事で残業になっても
全然疲れないし、生理前に必ず出ていた吹き出物も
今回は全くでなかった。

それに伴い体重も少しずつだけど減少して
早寝・早起きの生活が身についてきていた。

しかし、ココロの方はというと乱れまくっていた(爆)

慈悲の心を持たなくては、と思っていた矢先に
かまってちゃんからの「あたし可哀想でしょ攻撃」にブチ切れて自己嫌悪。。。

これは学べという事なんだろうと言うのは分かっているけれど
こういう人はどう対処すれば良いのだろうと思ってしまう。

そんな矢先に、高野山関連の本を読んだ。
『高野山 夢の導き 夢の山』という本。夢で空海さんが現れて、日本に導かれて高野山で修行したという、アメリカ人女性の体験談。

でもこれを読んで、イライラしてしまう自分(爆)
なんて自己中心的な考え方しか出来ない人なんだ、と読み進める内に思えて仕方が無かった。

「自分」「自分」「自分」

この著者からは、人を思いやるという気持ちが全然感じられなかった。
全て「自分ワールド」の中で完結している人なんだろうなぁ、って。

正座が出来ないのは自分が西洋人で足が長いからとか言うのを読んで、まずあなたの体重でしょ?とか思ってしまうイジワルな私が居ることに気付いたり

お寺でほかの人がかまってくれないのは、自分の日本語がおぼつかないからだ、という件で、日本語が出来なくても人気がある人は人気あるけどなぁと思ってみたり。

今は「かまってちゃん」に悩まされているから、こんな読感しか出てこないのかもしれない。

けれども、「自分」がこうされたと被害者ぶる人に対しての対処方法が見つけられないジレンマが、私を怒りへと駆り立てているのだと思う。

こういう人はやさしくすれば、どんどん自分を可哀想な人へと仕立て上げる。かと言って、つっけんどんにすると、それを口実に、ますます自分を悲劇のヒロインとして仕立てあげる。

己がどうしたいか?それが答えなのだろう。
自分がどうしたらその人と接していてハッピーなのか考え、それに基づいて行動するのが一番なんだろう。

「かまってちゃん」に優しさはいらないのかもしれない。

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