世の中にはただ、「幸せな瞬間」ばかりがあるのである。

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最近、固い本ばかり読んでいたので、ちょっと頭を柔らかくしようと、ふざけた表紙の本を手に取ってみた。

増補 オヤジ国憲法でいこう! (よりみちパン!セ) (よりみちパン!セ 28)

増補 オヤジ国憲法でいこう! (よりみちパン!セ) (よりみちパン!セ 28)』という本。

私の好きなしりあがり寿さんが著者ということもあって、ちょっぴりクスっと笑える本を期待していたのだけれども、これがズバリ真実しか書かれていない本なのだったのだ。。。

軽い文体なので、サクッと読み終えてしまう本なのだけれども、この本全体を通して、仏教の教えというか、それに似た物を感じてしまったんですよね。。。

軽く書かれているが故に、オヤジの戯言、と思われてしまう部分もあったりするのかな?と思いつつ、結局は普通に与えられた仕事を頑張ってきている人が語った言葉というのが真実だと、私は思っているので、そういう人から発せられた言葉の方が、どんなに偉いスピリチュアルな人よりも、全然重みがある。

経験した事から発せられた言葉、というものの方が、どんな綺麗な絵空事より、胸に響くよね。

全ての章に於いて、真実が語られているわーと思いながら読んでいたけれども、この章が一番好きだったりする。

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第10項 「幸せ」は、これを勘違いしている。

テレビからふりまかれている「幸せ」とは、たいがいバックに広告づくりをなりわいとする代理店などがついているもの。幸せのイメージは商売になるのである。

みんなが追い求めるハッピーなイメージは、どこかの、誰かがまいた「幸せの疑似餌」である。それにひっかかって、ワシらは、マイホームや、ブランドのバッグやら、新機種の電化製品などを買って、どこかの、誰かを儲けさせているものである。

物欲、ひいては人間の欲望とは、テレビや雑誌がご提供している幸せのイメージに触発されて生まれることがやたらと多い。幸せの疑似餌にひっかかり、財布の紐をゆるめるなんてよくある現象だから、べつに目くじらを立てる必要もない。

しかし疑似餌がふりまくイメージで、はっきりと害なのは「世の中には『幸せという状態』がある」とすりこまれてしまうことだと、ワシは思うのである。

「幸せな状態」というのは、この世には、ない。

世の中にはただ、「幸せな瞬間」ばかりがあるのである。

宙に浮かぶツブツブ

と、思わずステキすぎることを言ってしまい赤面しているところであるが、しかし、ワシがいま言ったことは、本当である。

「幸せ」とは、なにかの結果によって生まれた「状態」のことではないのだ。

もっと刹那的な「瞬間」として、日常の空気中に、粒子のツブツブのカプセルのように浮かんでいるものだと、ワシは考えるのである。

なにをやっても満足できないでいると「自分の幸せって、血液型とか星座とか、もしかしたら前世によって決まっているのでは?」などということを考えてしまいがちとなる。前世がもし、椅子とか机だったらどうするつもりなのだろう。

ヤングよ、「幸せ」とは、ツブツブのカプセルなのだ。それは日常のそこらへんに浮かんでいるけれど、どんなひとのところでも、なにかをしている過程でのみ、プチプチとはじけて瞬間的に幸福を感じさせてくれるものなのだ。

たとえ現状に満足していなくても、楽しかったりすることなんて、ほんとうは、いくらでもある。そういうものであるとワシは思うが、ヤングよ、いかがか。

自分の周りに漂っている、幸せのツブツブを見つけもしないで、不平不満ばかり言っていた自分自身を顧みて反省してしまった。

幸せのツブツブを見つけられるかどうかは、自分次第。

それこそ、「世間体」という色眼鏡を外したときに、視えるものなのかもしれませんね。

増補 オヤジ国憲法でいこう! (よりみちパン!セ) (よりみちパン!セ 28)
しりあがり寿、祖父江慎
イースト・プレス
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