心をなくしたときに読みたい本~『坐ればわかる~大安心の禅入門』を読んだ

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photo credit: 永平寺 via photopin (license)

最近殺伐としていることを自覚していたので、週末は身体を休めるために、外出しないで、それこそ意図的に何もしない時間を設けた。

そして積読本の中から『坐ればわかる #大安心の禅入門』という本をピックアップして読んでみた。

禅関係の書籍は多いので、これも坐禅入門的な本なのかなぁ、とは思った。

確かに坐禅についての記述も多いのだけれども、それよりも何よりも、この著者の方が永平寺を下山した後の話がとても興味深かった。

著者の星覚さんは、大学卒業後に永平寺で3年修行されたという方。

前に読んだ南 直哉さんの本にも書かれていたけれども、永平寺で修行したからといって、その後の生活が保障されている訳ではない。大概の修行僧(=雲水)たちは、お寺の子息(=跡取り息子)なので、修行後下山したら、お寺を継げばいい話なんだけれども、一般家庭からの修行僧達は、その後の身の振り方を、自ら考えなくてはならない。

そして、永平寺で3年の修行を終えた星覚さんは、都会に戻ってくるわけで

山を下りた当初は姉と一緒に暮らしていたこともあって、たくさんお金を稼ぐ必要はありませんでした。しかし久々に味わうモダンライフにどうしても欲が出てきます。次第に生活の中に文明の利器が登場し始めました。携帯電話、冷蔵庫、インターネット……便利になると同時に暮らしは忙しくなります。半年ほど経つと外見からはお坊さんとわからないくらいに髪ものびてきました。同時に煩悩もボンボンと膨らんできました。道を歩けばすれ違う美しい女性に目を奪われ、飲食店の軒先はどこもかしこも華やかで、欲を刺激するモノで溢れています。くすぶっていた欲の炎が再び燃え上がります。

その欲を満たすために、私はアルバイトを始めました。新聞配達やティッシュ配り、さらに夜の居酒屋でも働くようになりました。遅くまで焼き鳥を炙り、朝は坐禅をする生活。やはり必要最低限のお金は稼がなくては仕方がない。そう思って毎日働きました。そうやって稼ぐお金が生きていくのに必要な最低限のものなのか、欲のための過剰なものなのか、その境界は全くわかりませんでした。四摂法を実践し、相手のために行動しているはずなのに、気づかぬうちに我欲にとらわれることが多くなり、日々の暮らしは忙しく、苦しいものになっていきました。

生活の一番の基本となる住居、ガス、水道、電気、保険、交通、全てのものにお金がからんでくるこの社会で、お金に気持ちを惑わされずに欲を適切に制御して生きていくことは、非常に困難であることが身にしみてわかりました。

永平寺のやり方では現代社会の欲は調えきることはできなかったのです。

坐ればわかる #大安心の禅入門 より引用

ここまで正直に書かれていることに、好感が持てたと同時に、永平寺で3年も修行した方でも娑婆に戻ってくるとこういった心境になってしまうのだと思った。

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何だか自分の今の状況とシンクロしているなぁ、と思ってしまった。結局今の私の殺伐とした、忙しいという状況も気が付かない間に我欲にとらわれているが故に起こっていることなんだと。。。

著者の星覚さんは、その後ご縁があってベルリンを中心に禅の作法などを教えていらっしゃるのだけれども、この都会からベルリンまで行く流れが、それこそご縁がなくては成り立たないものだったことに感動すら覚えた。

永平寺での修行を終えた雲水は、ほとんどが縁のあるお寺に入ります。または少数ですが、お坊さんをやめて一般的な仕事に就く人もいます。「雲水は娑婆でいかに生きるべきか」と悩み続けた末、私は結局、そのいずれの道も選ぶことができませんでした。何にもこだわらず、地域の人と共に生きる天龍寺と、一処不住で縁に従い世界中で坐禅を続ける村上老師。この二つのご縁が大きなきっかけとなり、私は頭で考えることをあきらめることにしました。禅ではあきらめることを、「明らめる」と書きます。明らかにするという意味です。

家賃や食費を稼いで生計を立てること、俳優になってアカデミー賞をとること、立派な禅僧になって世界に禅を伝えること、頭で考えられるあらゆることを明らめて、自分の感動の原点にかえることにしました。ただ、座ろう。只管打坐に戻ろう。理由や目的を忘れて、身体と息と心をひとつに調えよう。すると、そう決めた時から不思議といろいろなご縁が巡ってきて、多くの人が支えてくれるのを感じるようになりました。

~中略~

こんなに話がトントン拍子に進むなんて、自分でも信じられませんでした。しかし頭で考えることをやめると、それまで見えていなかった縁に気づき始めます。そうすると不思議なもので縁が向こうから近づいてきます。

これは、私が気付いたから縁が巡ってきたわけでも、縁が巡ってきたから私が気づいたわけでもありません。縁を覚えるということは、もともとひとつだったものを別々のものと誤って認識していた自分に気づくことです。そういうことが、私に起こりつつありました。

坐ればわかる #大安心の禅入門 より引用

この本では、私が尊敬してやまない宮崎 奕保禅師様と著者の会話が描かれていたこともあって、読んでいる最中、「初心に帰れ」と言われているような気がしてならなかった。

こういうタイミングでこの本を読んだのも、偶然ではないんだろう。

最近頭でっかちになって、忙しい、忙しいと心を無くしていた。

けれども、そんな時にこそ、坐禅をすることが必要だと、改めて気が付かせてくれた本だった。

坐ればわかる #大安心の禅入門 (文春新書 940)
星 覚
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