娑婆で金を稼ぐ方がよっぽど修行

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photo credit: balance is nothing via photopin (license)

神社仏閣にお伺いするのは好きだけれども、宗教家のような人々は好きになれない。

どちらかというと、普通の企業にお勤めして、がんばって仕事しているような人々の方が、よっぽど宗教家より修行のような生活をしていると思うので。

宗教家も宗教で商売しているようなものだからね。

本当に自分のところでお祀りしている神様や仏様を信じ切っている宗教家なんて、ホンの一握りだし。

先日ふとテレビをつけたら、お坊さんバラエティのような番組が放送されていた。修行について語られている部分も多かったけれど、それって、だからどうなのよ?と思う部分も多かった。

修行というと、崇高なものを思う浮かべることも多いけれども、修行したことで高慢になっているような人々も多いことも事実。

滝に打たれたとか、坐禅を長時間組んだとか、そういうことで修行した気になっている人々が多いのも事実。特にスピリチュアル商売してる奴らね。

けれどさ、そんなの、修行でもなんでもなくって、自己満足でしかないんだよね。

修行中はもちろん辛いことも多いと思うけれどさ、普通に仕事している人達の方が、よっぽど修行しているように感じるのよ。

自分自身の過ちではないことに、謝罪したり、仕事だからと、やりたくもないこともやってみたり。

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最近人から聞いた話。

クレームが多いところで働いている人が居た。

その部門に配属されて仕事を始めた当初は苦情が全て「自分」に対する苦情のように感じて、いつも疲れを感じて食欲も無くなり、次第に心が暗くなって、精神を病む一歩手前まで行ったらしい。

けれども、全てをマトモに自分のことのように感じていては身が持たないと、クレームを感じる前に、自分の前にシャッターが降りるイメージングをして、そのクレームと自分自身は関係がない、と思うようにしたら、苦情を聞いても、「自分」に対する苦情ではないと感じることが出来たということで、今ではすっかり健康を取り戻したと。

なんて書くと、スピリチュアルなことを齧っている様な人からの発言のように感じるだろうけれども、これは普通のサラリーマンのおじさんから出た発言だったりするのですよ。

けれどもさ、こういう発見こそこそ、修行から出た悟りのようなものなんではないかと思うのよ。

自らの問題点を自らの答えで直していくことが出来るという、その発見。

そういうことに気付けるか、気付けないかが修行なんではないかと。

宗教家や、ヒーラーなどのスピリチュアルな人々よりも、真剣に普通の仕事をしている人々の方が、よっぽど覚醒しているよね。今の世の中。

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