クジャクノチカラ

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photo credit: Peacock via photopin (license)

最近このブログで、多く読まれているのは高野山の記事だったりする。

4月2日から『高野山開創1200年記念大法会』が始まったことの影響が大きいのだろう、とは思うけれど。それを証拠に、この4月2日~5月21日の50日間は高野山の宿坊は予約が取れにくいみたいですけどね(けれども、あの土地は絶対宿泊した方が良い土地だと思う)

私が初めて高野山に行ったのは、2年前のGWだった。

高野山に行こうと思った一つとして、孔雀堂に行きたかったから、という理由があった。

今となっては、どの本を読んだ際に書かれていた記述だったのか、思い出せないのだけれども、高野山の孔雀堂へお参りすると一切の悪が断ち切れる、というものがあった。

お伺いしてからというもの、確かに悪は断ち切られたように感じる出来事もあった。

そして、その旅に出てから、ブログを書き始めるようになった。

それまでは、何かを書かなくてはと思いつつ、実際には行動に移せなかったことを考えると、「書く事」を邪魔をしていた「何か」を断ち切ってくれたのだと、今更ながら思ったりした。

今度のGWに再び高野山にお伺いするにあたり、司馬遼太郎さんの『空海の風景』を読んでいるのだけれども、これが結構面白い。

小説なので、全てを鵜呑みにしてはいけないのだけれども、要所要所に知りたいポイントがきちんと書かれていた。

例えば、孔雀明王について。

孔雀明王

人間は毒にあたれば死ぬ。しかしながら孔雀は悪食しても死なず、解毒し、咀嚼する。古代インドの一部の種族の思想にあっては、孔雀の解毒能力をうらやむよりも、毒にあたった人間がいっそ孔雀になってしまえばいいと考えた。毒にあたればすぐさま孔雀の咒を用い、自分の内臓を孔雀の内臓に変じさせてしまうのである。このため孔雀の咒ができ、ひろがった。

孔雀明王も、陀日如来の化身として昇華することによって、純粋密教に参加した。幾種類かのその画像もつくられ、『孔雀明王経』などもでき、かつこの尊を奉じて修する修法も成立した。そのころには孔雀はすでに純粋に思想化し、かつて密林で孔雀に接してその神秘性にあやかろうとしていた時代とはおよそちがい、純粋密教における四箇大法の一つにまでこの鳥は栄達した。

「この仏母大孔雀明王は纔かに憶念すれば、能く、恐怖、怨敵、一切の厄災を除く。何に況んや具足して読誦し受持せんをや、必ず安楽を獲ん」

とまでの効験を発揮するにいたるのである。一個のたかが孔雀を、ここまで形而上化して、ついには大日如来の化身にせしめることによって宇宙的原理に参加させるという古代的想像力には、身をちぢめて驚歎するほかない。しかも極東の小さな島国にあってこの想像力に参加しうる体質をもっていたのは、稀有なことだが、空海ただひとりであった。

「孔雀明王の修法は、どうもこわくて」
と、かつて京の智積院の僧が洩らしていたいたのをきいたことがある。終夜、護摩壇を前にして修法を行じていると、暗い虚空にかみそりの刃のようにするどい裂け目が無数に生じ、ともすればそこへ身がのめって行って、あやうく切り裂かれそうになる恐怖が幾度もおこるという。そういう恐怖に感ずるまでに没入できる性格というのが、いわば陽気という意味で、空海の陽気さを筆者は想像している。

初めて行った高野山で、宿坊に3泊した際、2日目にはお部屋を良いお部屋に替えてもらった。

その時に壁にかけられていたのが、孔雀の刺繍画だったことを思い出したりした。

成福院

全ては必然だったのでしょう。

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