食べる為に働くか、働く為に食べるのか

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photo credit: Suki Eating via photopin (license)

大学生の就活についての記事を目にすることが多くなった。そんな時期なんですねぇ、、、

最終学歴は新卒で入社した会社、と言われることもある位だから、みんな躍起になっているんだろうと思うけれど。

私も会社勤めしている頃は、少しでも有名で、少しでもPayの良い会社を求めて、転職を繰り返してきた。お金がこのくらいあればなぁ、と思って転職活動をして、希望通りの会社に勤めて、希望通りの年収を得た時には、正直嬉しかった。

けれども、その嬉しさはすぐに消えてしまった。

世の中にはもっともっとお金を貰っている人たちが居ると思うと、なにくそ私だってその位の年収になってみせる!と思ったりしていた。けれども、その頃の私には、仕事を通じて何かを成し得る、ということは全くもって考えていなかった。

そう、全ての物事をお金というフィルターでしか見ていなかった。

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沢木老師様の『禅談』を読んでいる。

と、言ってもこれは2周目。

本当に為になる本だと感じているので、自分の中に沢木老師様の言葉を沁みこませたいと思っているからにほかならない。

今日は、自分の中に、その仕事を通じてなし得たい「願」というものが無かったことを、この本を読んで痛感した。

一体我々は、食うために職を求めるような甲斐性なしでは困る。願がないから、なんぞ楽で結構な職はないかなあと探し回る。そんな虫のよい職があるはずはないから、そんな人は死ぬまで食うことができまい。願が職を求めるのでなければいかん。食うために職を選ばんならんという奴なら、食うためには何を仕出かすか分からん。盗人もやりかねまい。しかし願のある者は食わんでも人の物は盗らぬ。ところが世の中の多くの人間が、ことごとく願なしで生きているから、気まぐれになってしまう。

だから願を起こす前に我々は自分を省みなければいかん。「お前さんは、何のために人間界に生まれてきたか」と自分によく問うてみるがよい。願のない者は「はい、糞を製造いたします」ということになる。「口から餌を通します。食道から胃袋、腸を通って便所まで運搬いたします。ただいままで大分運搬いたしました」。その他には何も勤めておらんのです。もし願がなければ、金さえもらえればどんなことでもするのです。

人間は何度も何度もこの世の中に生まれてくることはできない。人間がこの世の中に生まれてくるのはただ一度です。たまたま人間として生まれてきた、この大切な一生を、何の願も立てずに空しく過ごしてしまうということは、まことに勿体ないことである。高い願を立て、その願を成就しようと努力していく、そこにこの世に生きていくはげみがあるのです。またその人の願の高い低いによって、その人の値打ちも自然に決まるわけであります。

食べる為に働くのか、働く為に食べるのか。

きれいごとのように聞こえるかもしれないけれど、自分の願の為に働いている、と思うだけで、いつもの仕事も違ったようなものに感じる。

自分の願を叶えることが出来る仕事を見つけるのは大変かも知れない、それは自分の願を知らなければならないから。

私の好きな村上龍も小説の中で言ってたっけ

自分の欲しいものが何か分かっていない奴は、その欲しいものを手に入れることができない

って。

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