【その8】己の道 May 3, 2013

臨床動作法の後は、阿字観。
金剛峯寺のお坊さんが指導下さったのだけれど
これは昨晩の宿坊での阿字観とは違って、穏やかでマイルドなカンジ。

瞑想が終わった後、先ほどの臨床動作法の先生と二人でのお話が聞けた。
終了は12:30の予定だったけれど、13:00位まで
質問を受け付けます、との事。
12:45位まで聞いていたけれど、その次の結縁潅頂へと向った。

それまでの質問でフム、と思ったのはお坊さんの修行について。
真言宗は100日の修行があるとの説明に加えて、修行の一日について説明。
朝3:30の起床に始まり、お勤め・瞑想、PMは金堂 or 奥の院へ行き瞑想。
真言宗の修行は瞑想が中心との事で、
修行と言っても永平寺などに比べたら厳しいものとは言えないけれど
(と、言ってもマイナス15度の中、真水で床拭きをして
手がドラえもんのように赤く膨れ上がってしまいと言う話を聞いたときには
厳しい!と思ったけれど)
真言宗は修行を終えてからの日々の生活で悟りを開いていく、と言うのが
他の宗派とは違うところであり、それぞれが持っている仏性を
日常生活で開花させていくのが真言(密教)の教えだと。
それにしてもこの二人はやけに仲が良さげよねーと思ったら
大学院で同期だったという事で。

永平寺の事は、高野山に行く前にたまたま図書館で借りた本で
名前は知っていたけれど(『永平寺の精進料理』という本)
そんなに修行は厳しいのかしらん?と思って
東京に戻って、図書館で
『食う寝る坐る永平寺修行記』という本を借りて読んだら
想像を上回る厳しさだった。。。
この本にもとても感動したけれど
永平寺と言うものをもっと知りたくて読んだ
『坐禅をすれば善き人となる』という本は
読んでいて涙がポロポロこぼれてきた。

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高野山に行くまでは、仏教とか全然興味無くって
お坊さんにしても「葬式坊主」みたいなイメージしかなかった。
けれども、高野山に行くと決めて
仏教関連の本を読んで、実際にお坊さんに接してみたら
それまでのイメージがグレン、とひっくり返った。

うさんくさいスピリチュアルな輩に
「私が人々の為に毎日願っているから、世界はこの状態を保っていられる」
なんて抜かされた事もあったけれど、今では思いあがりも甚だしいと思える。
うさんくさいスピリチュアルの人たちは自分を崇めるように
自分自身で己の事を褒め称え、
いかに自分が有益な存在であるかをアピールしたがる。
けれどそれは自然に反した行為であって、
自然は褒められる為、崇められる為に存在している訳ではなく
例えば花は、花を咲かせる時には咲かせ、散り行く時には散る。
その行為に対して褒められる事も求めず
ただ淡々に己の道を行っているだけだと。
『坐禅をすれば善き人となる』を読んで、当たり前のことを
きちんとやっていく、という重要さに改めて気付かされた。
(ビジネスでもそうだよね、って思える部分もある。
特に最近そういう場面に遭遇するのは、それを観ろというお達しなんでしょうが)

本当はもっとお話を聞いていたかったけれど、結縁潅頂に遅れてはならん!と
猛ダッシュで金堂へ移動。
13:05には金堂に辿り着き、列に並ぶ事数十分。
一人女子の外人さんも居たりした事に驚きつつ
13:30位にようやく金堂の中に入れた。

ここから阿闍梨様からのお言葉を頂いた後
儀式に入った訳だけれど、儀式に入るまでえっらく待たされた。

外は日が照って、暖かいはずなのに
金堂の中はほぼ真っ暗で(ロウソクの灯りのみ)
お香の香りが充満していて、やたら寒く感じた。

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