神秘体験とはきわめて個人的なこと

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photo credit: styrka via photopin cc

最近、すごく空海さんが気になる。

気になっているせいかもしれないけれど、先日行った美容室では、お客さんと美容師さんが空海さんについて話しているのを耳にしたり(お客さんはすごく若い女の子だったので、言っていることが間違っていて、思わず心の中で突っ込みを入れていた自分ー爆)、今日は地下鉄の駅でメトロウォーカーというフリーペーパーをみたら、表紙が高野山東京別院だったりして、、、

うーん、シンクロってヤツなんですかねぇ、と思いつつ、積読本の中に、空海さんについて書かれていた本があったことを思い出して引っ張り出してみた。

ちなみにこのブログでも、2013年に高野山に行った旅行記を書いているけれど、この記事は何故か海外からのアクセスが多かったりする(爆)

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『弘法大師空海読本』という本で、著者の方の考察が多い本なので、好き嫌いが分かれるかな~、というカンジなんだけれども、この本を読んでいて、神秘体験について書かれていたのには、思わず、フム、と思ってしまった訳で。

私は、神社仏閣に行くのは好きだけれど、いわゆるスピリチュアルと言われるものは、大嫌いだったりする。

ヒーリングとか、オーラとか、エンジェルなんちゃらとか、パワーストーンとか。

神社仏閣に行っても、その手の人は、一発でそういう人だというのが分かる。

回りに漂っているものが、何だか暗いんだよね。。。

スピリチュアルな人のブログとか見ると、神秘体験みたいなものが書かれていることも多いけれど、この本で引用として書かれていたものを見て、ちょっと考えることがあった。

それにしても死物狂いの修行であったと思われる。法は万人に等しく開かれていても、修行する側に立って観察すると、必ず適不適がある。とりわけ求聞持法は誰にでも真言行人ならば修するべきという修法ではない。かえって魔境に陥って高満心の飾りを一層募らせて成満する行人も存在する。あるいは、つたなき行を華美な言葉で宣伝したがる若人もいる。(浅井覚超氏『高野山時報』より)

神秘体験とは、きわめて個人的な体験である。であればこそ、空海は自らの体験を最低限の言葉でしか語らなかったのかもしれない。

―明星来影ス。

~弘法大師空海読本より引用

結局、全てはこの言葉に尽きるのかも知れない。

気軽に神を名を語るものに、本物はいないということ。

弘法大師空海読本
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