【その2】3度目の伊勢 10th June, 2012

携帯の目覚ましは4:00にセットしていた。しかし起きたのは5:00。慌てて身支度をするものの、何故急いで内宮に行こうとするのか、自分でも良く分からない。結局6時に内宮に着き、いつも通りに参拝した。御正宮の前では、ただ感謝しかなかった。

風日祈宮と荒祭宮にお伺いした際にメッセージを頂いた。そして「これは成功しますか?」ではなく、「これを成功させます」という意気込みで向かえ、とも。(今読み返すと、重要な事言われていたなぁ、と思い返す)

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おはらい町を通り、猿田彦神社へ行き、参拝後におみくじを引くと大吉だった。佐瑠女神社でもおみくじを引くと大吉だった。両方とも「神様に守られている」というありがたいメッセージだった。

その後朝食をとって、滝原宮へ行った。電車で松坂駅まで移動して、松坂駅からはバス。バスの出発時刻まで時間があったので、市内観光マップを見たら、本居宣長の住んでいた街が松坂だと知る。今回、これの為に来たのか、と思いつつ、今すぐ行きたい気持ちを抑えて、瀧原宮行きのバスに乗る。

瀧原宮はこじんまりとしたお社で、ミニ内宮と呼ばれているのに納得した。しかし、公共交通機関で3時間かけて来る意味はあったのかしらん?と思ったりした。たまたま行った時に、団体が居たせいかも知れないけれど、ちょっと予想していたのとは違った。

松坂に戻り、本居宣長旧宅跡を見学し、本居宣長記念館へ行った。結構人が居たのは意外だった。たくさんの書物があり、全て自筆で書いたものだと知り感服。ここで本居宣長の現代語訳の『改訂版 玉くしげ – 美しい国のための提言(現代語訳 本居宣長選集 第1巻)』を購入。この本は何度も読んだなー。今も手元に残してます。それくらい大事な本です、私にとって。

そのあと本居宣長の旧宅「鈴屋」と言うところに行き、中を見ていたら、案内のボランティアをしている?おじさんに声をかけられ、色々説明して頂いた。本居先生は、日中お仕事で一日60km位歩いて、その後家に戻って、門下生に勉強を教えたあと、子息と『古事記伝』の作業をされていたと聞いた。その為一日の睡眠時間は2~3時間程度だったけれども、72歳まで生きられたと。

鈴屋の2階へ上る階段は現存しており、その階段は外せるようになっていて、子息と古事記伝の作業をしている時には、誰も入らせないように奥様に命じていたとの事。この階段が現存していると言う事を小林秀雄と谷崎 潤一郎が驚いた、等々のお話を伺った。

色々教えて頂いた事にお礼を申し上げ、本居宣長記念館のある松坂城を後にして、本居宣長神社へと向かう。ここでもおみくじを引かせていただいたら、猿田彦神社で引いたメッセージと同じもの+「自分への甘えをなくすこと」と書かれていた。図星(笑)

松坂から宿に戻るものの、何故か体調があまりよろしくなかった。お風呂に入ってご飯を頂いても一向に優れず、明日は東京に早く戻ったほうが良いのだろうか?と思いつつ就寝。

翌日になって、すごく眠く、6:00になってもまだ眠く、結局早朝参拝にも行けず8:30まで寝ていた。もちろん朝食キャンセル。具合がものすごく悪く感じたので、その日の予定をキャンセルして、東京に戻った。東京に戻っても具合は良くならずに、結局一日寝ていた。その翌日と翌々日も具合が悪かったので、会社を休んだ。結局風邪を引いたような症状で、すごく咳き込み、おまけに血痰まで吐いた。

これ逆パワスポ効果なのか、それとも強烈な浄化だったのか、その時はわからなかった。この具合が悪い時は、もう伊勢には行かないだろうって思っていたけれど、何故か引っ張られるようにして、また伊勢を訪れている自分が居た。

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