神道を知る本で再確認した~祈りの意味~

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photo credit: BONGURI via photopin cc

『一億人の人々が読もう 神道を知る本 鎮守の森の神々への信仰の書』という本は、神社通いを始めたころに、神道のことを知りたくって、伊勢の神宮会館で購入した本。

御朱印等々を収めているケースに入れていたけれど、ふと思い出して、再び読んでみた。最初読んだときにはわからなかったことも、今となっては腑に落ちることが多く記述されている本だった。

大祓詞を唱えるようになってから、半年以上経過したけれど、もうごく普通に朝起きて行うことのルーティーンの一つとして組み込まれているので、何の苦にもならない。

けれども、この大祓詞を唱えるということが、いかに自分の精神状態を保つということに役立っているのかを、身に持って体感しているので、運が良くなりたいのならば、毎朝大祓詞を奏上すればいいのにな、なんて思ったりする。

ただ、己の欲だけでは、毎朝継続することは難しいとは思うけどね(爆)

『一億人の人々が読もう 神道を知る本 鎮守の森の神々への信仰の書』を読んで、「祈り」ということについて考えた。神社仏閣に行って、祈っても叶わないと思う人がいるのならば、それは「祈り」の方向性が間違っているからなんだよね。

八十万神が「神に事情を告げる」方法を議ったこととして「祈る」が出て来ている。

「いのる」の語源は明確ではないが、「い」は神聖を意味する「斎」であり、「のる」はことばを発する「宣る」からきているという(『大言海』)。これからすれば、「祈る」は、ことばを口に出すことが大きな要素となる。つまり神聖な言語を発することによってその霊力が発揮され、それが成就するという「言霊」の信仰と関わりの強いことばが「祈る」という行為であるといえる。無論、その神聖な言語を発する行為には、「まこと」の心がなくてなならない。

神道とは『記』・『紀』・『万葉』その他の古典に流れている古代人の思惟を受けとめ、それを再確認して現代に生かす道ともいえる。「祈り」の原点は、不浄や雑念を捨てて(「まこと」をもって)、神に向かってことばを捧げることだが、それは、かつて古代日本人だれしもがもっていただろう「公」への祈りだったと考えるのである。

~『一億人の人々が読もう 神道を知る本 鎮守の森の神々への信仰の書』より引用

その祈りは、神様に捧げる言葉としてふさわしいかどうかを考えてみて、お願いごとをしてみるといいかもしれませんね。

神道を知る本―鎮守の森の神々への信仰の書
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