ワクワクすることって

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photo credit: robert.steinhoefel via photopin cc

先日『すべての男は消耗品である。VOL.1~VOL.13』を手に入れてから、ずっと四六時中読みまくっている。

私は村上龍と村上春樹の、いわゆるW村上で言えば、村上龍派だったりする(爆)

若い頃は村上春樹の本を読んでいると「諦めの文学」としか感じられず、主人公の自意識ぐちゃぐちゃが読んでいて耐えられなかったりした。けれども、ある程度歳を重ねると、その自意識ぐちゃぐちゃの物語が自分のことのように感じられて、嵌っていた時期もあった。

しかーし

村上春樹の本は、今は読めなかったりする。

すごく読んでていてイライラしてしまう。

ついでに言うと、村上春樹のファンにもイライラしてしまう。

新刊が発売される度に、書店に行列とか、

ノーベル文学賞が取れるかも?と話題になると集まって、お祝いしようとか、

そういう「なれ合い」のようなものが一番私は嫌いだ。

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すべての男は消耗品である。VOL.4』で1995年に起こったオウム事件について言及されているエッセイを読んだ。

そこに書かれている状況は、1995年のものであるにも関わらず、2014年の現代にも当てはまるような気がしてならなかった。

オウムのリーダーにどのようなカリスマ性があったのかは知らないし、興味もないが、多勢の日本人が入信してしまった理由については簡単に想像がつくし、単純な言葉で表すことができる。

「毎日がつまらなく、退屈で、やるべきこと、やりたいことが見つからなかった」

「誰からも相手にしてもらえず寂しかった」

「生きているんだという実感、それにすべてを忘れさせてくれるような感動と充実感が欲しかった」

たかだか、そんなものだ。

たかだかそんなものというのは、充実感を得るのが簡単ということではなく、誰もが持っていてそこら中に転がっている理由で彼らがオウムに入信したということである。

すべての男は消耗品である。VOL.4より引用

商業的スピリチュアルが危険なのは、これらの単純な言葉で表されることが、あたかも簡単に解消できるかのように謳っていることだと思う。

商業的スピリチュアルでは「ワクワク」や「好きなことをやる」をやると人生上手く行くと言われている。

でもさ

本当にやらなくちゃならないことは、ワクワクすることでもないし、好きなことをやるということでもないと思う。

自分の中で「これはやらなくちゃいけない」と強迫的観念にも似た感情からわき上がってくるものだと、最近思うようになってきた。

私の場合で言えば、こんな一般受けしない説教じみた文章を書いてても、ブログのアクセスが上がるわけでもないし、収入にもなるわけでもないのに、何故こんなことを書いているのかといえば(ゴニョゴニョ、、、)

まぁ、人にはやらなくちゃならないこともあるって訳ですよ。

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