金王八幡宮に行ってきた

渋谷氷川神社を後にして、目指すは金王八幡宮。といっても、徒歩5~6分の距離。

いきなり大きい鳥居発見。

金王八幡宮1

そして30m位歩くと、金王八幡宮(こんのうはちまんぐう)に到着。

金王八幡宮

ご祭神は

  • 応神天皇(おうじんてんのう)さま

でいらっしゃいます。

御由緒は

春日局、家光将軍決定の御礼として建立された総漆塗社殿

源義家が、後三年役の勝利は河崎基家(渋谷の祖)の崇拝する八幡神の加護なりと渋谷城内に寛治六年(1092年)に勧請した。基家の子、重家は堀河帝より渋谷の姓を賜り、これが渋谷の地名の発祥とされる。重家の子、渋谷金王丸は武勇に勝れ源義朝・頼朝に仕えた。境内の金王桜は、頼朝が金王丸の誠忠を偲び名付け植えた。

東京神社庁 HPより引用

とのことです。

階段を上って行くと

金王八幡宮2

神門

江戸時代初期の建築様式を現在にとどめる、都内でも代表的な建物の一つだそうです。

金王八幡宮4

金王八幡宮5

手水舎

金王八幡宮6

結構オラオラ系な龍。

金王八幡宮7

御社殿

金王八幡宮10

狛犬さんたち

金王八幡宮11

金王八幡宮12

狛犬さんたちの後ろでお米が栽培されていました。渋谷で案山子を見るとは思わなかった(爆)

金王八幡宮13

お招き頂いたことに感謝して参拝させて頂く。

しかし、豪華な御社殿だなぁ~と思った。すごく目が惹きつけられる。

金王八幡宮14

頂いたリーフレットには次のような記述があった。

現在の御社殿は、徳川二代将軍秀忠の世 慶長17年(1612)に青山忠俊と春日局によって造営された。

竹千代(後 家光)9歳、弟国松(後 忠長)7歳の頃、3代将軍は国松であろうとの風説が行われた。竹千代の乳母春日局と守役青山伯耆守忠俊はこれを憂い、伯耆守は氏神として信仰していた当八幡宮に熱心に祈願をこめ、春日局もまた護摩料金80両を奉納している。

その後、家光の具足始めの偽が行われることとなり、これ神明の加護と伯耆守は数多の材木を、春日局は金百両を寄進し社殿を造営した。

この社殿は、権現造りで江戸初期の様式を現在にとどめ、都内でも貴重な建築の一つに数えられる。近世の神社建築としてはあっさりした姿で、豪華ではあるが極めて優しげな彫刻が各所に施されている。

特に拝殿正面左右の窓のような狭間には漠と虎が彫られ、このような装飾はたいへん珍しい。

漠は世の安寧、虎は正しいまつりごとへの祈りの心が込められている。

拝殿正面の金ぴかの龍。
金王八幡宮15

龍好きな私は、これを見ただけでテンションMAX状態(笑)

そして左手には漠

金王八幡宮16

右手には虎の姿がはっきりと見える。

金王八幡宮17

渋谷にこんな豪家なお社のある神社があると思わなかったので、超びっくりしてしまったのでした。

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そして社務所で御朱印を頂き、その後寶物館を見学

社務所

金王八幡宮8

寶物館

入場は無料でした~。八幡さまに関するものなどが見られたのでラッキー。

金王八幡宮9

その後、境内を散策してみた。

渋谷城 砦の石

金王八幡宮周辺は、平安時代末期には、渋谷氏一族のお城があったということで、お城自体は無くなってしまったけれど、そのお城の砦の石が残されています。

家に戻って、この砦の石について調べてみたら、ここがパワースポット!と書かれているものを見つけたけれど、私は特に何も感じなかった(爆)

金王八幡宮18

金王桜

金王八幡宮19

神楽殿

金王八幡宮20

末社 玉造稲荷神社

御祭神は宇賀御魂命(うがのみたまのみこと)さまでいらっしゃいます。

金王八幡宮21

金王八幡宮22

金王八幡宮25

末社 御嶽神社

御祭神は

  • 櫛眞知末社 御嶽社命(くしまちのみこと)さま
  • 大己貴命(おおなむちのみこと)さま
  • 少名毘古那命(すくなひこなのみこと)さま
  • 日本武尊(やまとたけるのみこと)さま

でいらっしゃいます。

金王八幡宮29

金王八幡宮26

御神木

金王八幡宮31

これで一通り見られたかな?と思ったら、こんな案内板が↓

金王八幡宮30

末社 金王丸御影堂

金王八幡宮35

詳細を金王八幡宮HPで確認してみたら

御祭神:渋谷金王丸常光(しぶやこんのうまるつねみつ)

祭礼日:3月最終土曜日  金王桜まつり

由  縁:金王丸は、渋谷重家夫妻が当八幡宮に授児祈願を続け、八幡神の霊夢(啓示)により、永治元年(1141)8月15日誕生しました。

金王丸17歳の時、源義朝に従い保元の乱に出陣。平治の乱ののち出家し、土佐坊昌俊と称し義朝の御霊を弔いました。また、頼朝とも親交が深く鎌倉幕府開幕にも尽力。義経追討の命を受け、文治元年(1185)10月23日夜、心ならずも義経の館に討ち入り勇ましい最期を遂げました。

頼朝は、金王丸の忠節を偲び、鎌倉の館よりこの地に桜樹を移植し「金王桜」と名付けました。

この御影堂には、保元の乱出陣の折、自分の姿を彫刻し母に残した木像が納められ、更に金王丸が所持した「毒蛇長太刀」も保存されております。

金王八幡宮HPより引用

ということだった。

金王八幡宮32

金王八幡宮36

ここは、、、すごいカンジとしか言えなかった。毒蛇長太刀が関係しているんだと思うけれど。。。

毒蛇長太刀は「鉾先に向かいその刃風に触れる者生きて帰る者なし、鰐口は遁れるとも毒蛇の口は遁れ難し」 と言ったことから名付けられたそうで、このお社の前に立っていたら、悪いものを断ち切る力を何故か感じてしまったのでした(←個人的な感想です、あしからず~)

あと、扁額に「神宮大宮司 徳川宗敬書」とあって、何で神宮大宮司の方が金王八幡宮の末社の為に書をしたためたのだろうか?と思ったりした。

金王八幡宮、渋谷駅からも歩いていける距離なのに、渋谷駅周辺の嫌なカンジは全くしない良い神社でした。渋谷氷川神社といい、こちらの金王八幡宮といい、渋谷周辺には良い神社が沢山あったことに今更ながら気が付きました(笑)

遠くの神社もいいけれど、近くの神社も忘れずに!ってコトなんでしょうね♡

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